空港の公衆電話
今から20数年前、懐かしい公衆電話の話です。
米国南部ジョージア州へ出張した際、空港の公衆電話に助けられたドタバタ劇。
当時1990年代に私が使っていた携帯電話は国内専用だった為、出張先での連絡にはかなり苦労しました。
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シカゴでキャンセル待ち
その日は日本からシカゴに飛び、国内線でアトランタに入る予定でしたが、シカゴで予約便がキャンセルとなりました。
日本からの長いフライトの後、マイナス13時間の時差の中、遅延に次ぐ遅延で疲れ果てていました。 体感的に東への移動は堪えます。 ヨーロッパ便の場合は帰りの時差ボケが辛いのですが、北米便の場合は往路の時差ボケが激しく感じます。 そんな中、到着から5時間近く待たされた挙句、便がキャンセルされた事に、私の我慢は限界で、航空会社が振り分けてくれた便に納得できず、一便早くしてもらえるよう「キャンセル待ち」をお願いしました。 これが不幸の始まりでした。 (私の頭の中では時間が遅れた事で迎えに来てくれる人に迷惑をかけたくない、という一心で一刻も早くアトランタ入りしたかったのです。)
しかし...
誤解に次ぐ誤解
丁度その頃、迎えに来て下さる方は、航空会社との連絡で、便の遅延とキャンセルを知り、変更予定便を確認していました。 その方のオフィス(私の目的地)は空港から車で2時間以上かかる場所でしたが、私の名前を航空会社に伝え、航空会社が振り分けてくれた予定便を確認し、別件の仕事で他の場所に移動してしまいました。 私としては、その状況を知る由もありませんでした。
この時点で、お互いが考える到着時間も場所(出口番号)も異なってしまいました。
その上、航空会社からは「キャンセル待ちの便が可能かどうかはギリギリまでわかりません。」と言われた為、ゲートの前から離れられずにずっと待っていました。 本当はその時点で、公衆電話を探し、早めに迎えの方に事情を話すべきでしたが、席を離れるとキャンセル待ちが無効になりそうで移動できませんでした。
結局、ギリギリの時間に呼び出しがあり、電話をする時間もなく、キャンセル待ちの便に飛び乗りました。 数時間後、アトランタの空港に着き、公衆電話を探しました。 迎えの方のオフィスに今いる場所を伝える為に...
唯一の連絡手段は公衆電話
その間、色々な事がありましたが、詳細は割愛します。
公衆電話が見つかり、迎えに来られる方の会社に電話をし、携帯番号を聞き出したものの、移動中の相手への連絡は至難を極めました。 事務所で電話を受けてくれた米国人女性は詳細をご存じなく、詳しい事を言っても仕方ない状態でした。 でも、そうは言っていられません。 本人の携帯電話に繋がらないなら、頼れるのは事務所にいらっしゃるこの女性のみです。
連絡が取れない中、ついに夕刻近くになりました。 日本からシカゴまでのフライトが約13時間、シカゴに着いたのが早朝、そして迎えに会えないままアトランタで夕刻です。 その日、予約してもらっているホテルは郊外で空港から2時間以上離れている為、車の運転ができない私は自力で移動できません。 日本と異なり、公共交通機関がない為、目的地へ向かうのをあきらめ、市内のどこかで一泊しようと思い、その意思を伝える為、事務所の女性に電話をしました。
公衆電話の奇跡
公衆電話に25セントを入れ、繋がったところで、くだんの女性が「ちょっと待って、今、日本人が来たから、日本語で話して! 他の電話が鳴っている。 多分、貴方を迎えに行っている人だから私が出るわ。」と言い残し、誰かに電話を替わりました。 「もしもし、○○さん?」聞き覚えのある声でした。 同じ会社に出張中の取引先の方でした。 「勝手に予定変えたでしょう? 今、迎えのXXさんから電話が入ってるので替わるわ。 直接話して!」との事。 意味が解らないまま受話器を握っていると、遠くで男性の聞こえます。 「今、空港のどこにいる? すぐに行くから。」 何が何かわからないまま、場所を説明し、お互いの状況が掴めました。 そして、その20分位後にちゃんと迎えの人と会う事ができました。
5年後に解けた謎
しかし、どうして直接話すことができたのか、全くの謎でした。 不思議と感じたものの、この時の事は忘れていました。 その後、5年近く経ち、途中で電話に出てくれた取引先の日本人とたまたま会った際、思い切って聞いてみました。
そこでわかったのは、取引先の日本人と現地の米国女性が、それぞれが手にしている固定電話の受話器の口の部分と相手の電話の耳の部分をくっつけて、私の公衆電話と迎えの方の携帯の通話を物理的に繋いでくださった...という事。
今となっては遠い昔。
アナログな方法で別回線の者同士が会話できると知った事は、私にとって貴重な経験でした。
以上、最後まで読んで下さり、ありがとうございました m _ _ m
因みに出張先の米国南部については別の記事にも書いております。