今週のお題「おとなになったら」
獣医を夢見る小学生
哺乳類は勿論、爬虫類も両生類も昆虫も大好きです。
それは今も全く変わりません。
小学生の頃は、蛇でもゴキブリでも生き物は全部大好きで、よく大人を困らせました。
小学生の頃の夢は獣医さんでした。
小学生の頃、「学習と科学」という学研の雑誌を読んでいました。 「学習」にはさほど興味がありませんでしたが「科学」の本がとても楽しみでした。
とにかく理科が大好きで、虫や植物、動物を見るのも触るのも好きでした。
小学生の時に馬に乗り始めたのも動物が好きだったからです。
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中高で変わった雲行き
小学生の時に始めた馬術(障害飛越)は結局、20歳まで続けました。 でも、中学2年生以降は馬に乗る事に魅力を感じず惰性で試合に出続けるだけになりました。
20歳まで馬術を続けたのは父からの圧力。 「勉強する暇があれば馬に乗れ!」という考えの為、家で学校の宿題をしているだけで怒られ、定期テスト前に試験勉強をすると邪魔をされました。 勉学を毛嫌いしている人には何を言っても無駄です。 勉強している姿を見られないように気を配り、父の期待に沿って馬術を続けました。 つまり、自分の仕事と割り切ったのです。 学校の成績には無頓着な一方、馬術の障害飛越の入賞には敏感な父なので競技会で満足する結果を出せるかどうかがプレッシャーでした。
以上、中学・高校で勉強をしなかった勝手な言い訳けです。
理数系の科目が好きでしたが、試験の点数は半端なく悪く、獣医さんは勿論、理系に進めないのは誰の目にも明らかでした。
勉学に否定的な父の望みを叶え(?)高校の3年間で学習意欲は完全に消え失せました。
勉強すれば怒られる毎日
当時住んでいたのは、二戸一(ニコイチ)の賃貸長屋で仲の悪い隣家とは壁一枚で隔てられているだけでした。 トラックや乗用車など数台の車を停めるエリアの他、納屋や仕事場も大家さんが貸して下さった為、父の仕事には非常に良い環境でしたが、私にとって住環境は酷く、プライバシーはゼロで、いつも隣家の騒音に悩まされました。 (もちろん、隣家も私が出す物音にイライラしていたとは思います。) 6畳と3.5畳に汲み取り式トイレと非常に小さなお風呂と台所があるだけの居住スペースの為、勉強部屋はなく、いつも食台でコソコソと勉強しました。
宿題をする際は夜遅くまで電気をつけざるを得ず、「電気を消せ!」と父に怒鳴られました。 家で宿題ができず、翌日学校で問題を解いていると、今度は教師から「なぜ家でやらない!」と怒られる... 他にも色々と嫌なことが山積みで、高校の3年間は家も学校も大嫌いでした。
酷い住環境、学習環境でしたが、皮肉なことに経済的には恵まれていたように思います。
競技用の馬や馬具、乗馬服、その他、お金のかかる物を買い与えられ、馬にかかる維持費も惜しみなく出してもらっていた為、父に感謝すべきですが、残念ながら私の望んだ事ではありません。
反抗的な態度が見え隠れするのか、教師からは「お父さんもお母さんも立派な人なのに何をしているのか!?」と余計な枕詞をつけて怒られました。 可笑しな話、一度も父に会ったことも話したこともない教師が何を根拠に立派な人と判断したのか未だに私にとっては謎です。
そういえば、当時、家族の為に使うお金よりも、父のガールフレンドに流れるお金の方が随分多かったと想像します。 高校生の頃、父のガールフレンドや彼女の周りの人物から嫌な思いをさせられたエピソードも相当あります。
軌道修正
馬術については、学校に通っている間は続ける約束でした。 (社会人になった後は私の勝手な人生ですが、学費を出して貰っている間は指示に従う必要があります。) そうこう言っている間に高校3年生の夏休みが過ぎました。
卒業後はどうするのか?
ろくに勉強もせず馬に乗ることを優先していた私には何の技術も知恵もありません。 早く社会に出たいとは思いつつ、人見知りも酷く全く自信がありませんでした。
結果的に18歳での就職を諦め、進学に方向転換しました。
新たな道を歩き出す
早く社会に出たい私は四年制の大学に行くつもりは当初からありませんでした。 (もちろん、その実力もなかったでしょう。)
学費を出してくれる父に感謝し、父の趣味に付き合う為、あと1~2年だけ馬に乗り、その間に軌道修正を図ろうと心に決めました。 英語が得意だった私は英語の専門学校に行きたいと思い、乗馬クラブの人にそう話しました。 すると、「世界に羽ばたく馬喰(ばくろう)になれ!」と言われ、からかわれました。
「獣医さんになりたい」という小学生時代の夢を思い出し、一瞬、「世界に羽ばたく馬喰か... 成れるなら、それも良いかも。」という考えがよぎりましたが封印しました。
卒業と同時に乗馬を綺麗さっぱり辞める、と心に決めていた為です。
動物は大好きですが、どういう形であれ、命を扱う仕事には責任が伴います。 私は、その重圧に耐えるだけの強い意志も責任感も持ち合わせていないと感じました。
洋楽好きなので英語科へ
小学校3年生くらいから洋楽を聞いていた私は意味が分からないまま音を頼りに歌詞をデタラメに覚えていました。 中学に入り英語の授業が始まり、徐々に意味が分かるようになり、嬉しかった事を覚えています。
因みに中学の英語の授業中、突然、wannaはwant to、gonnaはgoing to、gottaは(have) got toと書くのが正しいと気づいて感激し、その発見を友人に話したところ、「何言ってるの?」と一笑にふされました。 学校の勉強に熱心に取り組む人はそれ以外の事には興味を持たないんだ、と気づいた一件です。
授業以外の小さな発見も幾つかあり、中学・高校を通し、私にとって英語の勉強は、他の科目と比べ、ずっと楽しいものでした。
そこで、高校3年の進路相談で、担任に「英語の専門学校に進みたい」と告げました。 担任からは「1年では足りないでしょう。 どうせ2年行くなら、専門学校と比較しながら短大も検討すれば?」と言われ、自宅から一番近い学校を選び、短大の英語科を受験する事にしました。 文学を勉強したいわけではないので、英文科は眼中にありませんでした。
その時の受験のエピソードはコチラ ↓
英語は得意科目のつもりでしたが、他の人を知るにつれレベルの違いに驚愕しました。
入学後、短大の1年生の時に英検1級を取得したり、TOEFLで高得点をマークし、海外の大学に編入する人もいました。 中には自分の親ほどの年齢の人もいました。 2年で集中的に勉強する短大にはハングリー精神あふれる人が沢山いました。 自身の考えの甘さ、稚拙さを思い知りました。
短大卒業後、さらなる紆余曲折を経て、獣医を夢見る理科好き小学生は全く別人のような大人になりました。 決して悪い意味ではありませんが、別段、良い意味でもありません。
兎にも角にも、噛むほどに味が出るスルメイカのような人生を、寿命のある限り、楽しみたいと思います。
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今回は小学校から短大までのお話。
ついでながら、前回の記事。
幼少期と短大卒業後はこんな感じでした ↓
本日も、高齢者の愚痴に付き合わせてしまい、失礼いたしました。 m _ _ m
家も学校も嫌いだった中学生の頃、この曲を聞いて心を鼓舞しました。
この曲をカセットテープに録音して私が聴いていたのは昭和50年を過ぎた頃でしたが、実は昭和48年の楽曲のようです。 50年以上前に作られた曲なんですね。
随分遠い昔に乗馬からは離れましたが、後期高齢者になる前に、もう一度、馬に乗ってみたいな... と思う事もあります。 その場合はスペインに行って、馬に乗ろうと思います。
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