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恵方巻きの歴史とコンビニの戦略

節分についての記事の続きです。
今回は、節分の恵方巻きを巡るマーケティング戦略について歴史を遡ってみます。
節分についての前回記事はコチラ ↓

finitykt.hatenablog.com

 

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恵方巻きは平成のコンビニ文化

恵方巻きは関西圏の風習と言われるものの、長年、関西に住んでいる年配の人に聞いても、節分の風習というと豆まきを連想する人が多いようで、むしろ若い人の方が恵方巻きに馴染みがあるように見受けられます。

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意外に思えますが、全国展開は勿論、関西圏においても恵方巻きが一般化したのは、21世紀に入った後。 これは平成初期に大規模に行われたセブンイレブンのプロモーションが功を奏した為です。

セブンイレブンマーケティング戦略

海苔や寿司業界の方々が恵方巻きを地元で大きく宣伝する事はありましたが、全国ネットのコンビニチェーンが初めて太巻きのお寿司(恵方巻き)を関西以外で大々的に売り出したのはセブンイレブンです。
催事の少ない季節のプロモーション・イベントとして、昭和64年(1989年)広島県の一部店舗で『太巻きを節分にどうぞ』と売り出してみたのが事の始まりです。 コンビニエンスストアの売上は一般的に1月、2月に落ち込むと言われます。 それを避ける為、新春に海苔巻きを販売するようになり、加えて、縁起の良いものとして節分用のお寿司を販売するようになったようです。 

当初はセブンイレブン以外含め、「丸かぶり寿司」「節分の巻きずし」「幸運巻きずし」と言った名称で売り出していたようですが平成10年(1998年)にセブンイレブン恵方巻」と名前を統一して海苔巻きを売り出しました。
わかりやすく、縁起の良い響きの名前で全国ネットで売り出したセブンイレブンのセンスは流石です。 まさに絶妙のネーミングです。
平成のコンビニ文化が昔ながらの風習と結びつき、関西から離れ、定着して行った一つの例と言えます。
高齢者以上にコンビニ利用者の多い若年層が恵方巻きに馴染んでいるのも納得です。

では平成以前に恵方巻きはなかったのでしょうか?

平成以前の恵方巻

恵方巻きという統一した名称ではありませんが、上方では太巻きのお寿司を食べる風習はありました。 但し、それも、昔ながらの風習と言い切れるほど、長い歴史があるものではなさそうです。

昭和後期の恵方巻

平成に入り、コンビニ・チェーンが全国ネットに広げ始める以前は、「恵方巻き」という統一した名称もなく、太巻きのお寿司として、海苔業界の方々が大阪近辺を中心に販売促進されていたようです。

大阪海苔問屋協同組合のプロモーション

太平洋戦争以前の節分の巻き寿司(恵方巻き)の宣伝は寿司業界が中心だったようですが、戦後の高度成長時代海苔業界が仕掛けたプロモーションが話題を呼んだようです。
例えば、昭和48年(1973年)より大阪海苔問屋協同組合が「幸運巻きずし」というネーミングで太巻き寿司のポスターを作成し、寿司屋の店頭に貼り出し販促キャンペーンを行っていました。 また、その翌年、昭和49年(1974年)にはオイルショック後の海苔の需要拡大を狙い、「巻き寿司早食い競争」を節分イベントとして開始し、昭和52年(1977年)には道頓堀で行った巻き寿司早食い競争がマスコミに取り上げられました。 同時期に関西厚焼工業組合も宣伝活動を開始し、知名度が上がって行き、1月最終日曜日にとんぼりリバーウォークで「巻き寿司早食いコンテスト」や節分当日に大阪天満宮で「1000人巻き寿司丸かぶりイベント」などが行われるようになりました。
このように、販売店が全国ネットでプロモーションを行い始める前は、食材業界の団体イベントを興し、マスメディアを利用して、地域への浸透を図っていたようです。

太平洋戦争直後の恵方巻

もちろん、昭和40年代以前も恵方巻きの販促は行われていました。 太平洋戦争の戦火が激しい時期は中断していましたが、終戦から4年後の昭和24年には節分の太巻きの販促は再開されました。 但し、その時点では、食材の団体や販売・流通の業者ではなく、純粋にメーカーであるお寿司屋さんが中心のアピールでした。
昭和24年(1949年)、土用の丑の日に鰻を食べる習慣に対抗する販売促進手段として、大阪鮓商組合が戦前に行われていた「節分の丸かぶり寿司」広告を復活させるべく活動を開始しました。 そして、昭和30年(1955年)頃、元祖たこ昌の山路昌彦氏が、当時行っていた海苔販売の促進活動の一環として恵方巻きを考案した、とのことです。 つまり恵方巻きの原型は太平洋戦争の10年後(昭和30年)に出来た比較的新しいもの、という事です。
なお、恵方巻きを考案されたと言われる山路昌彦さんの会社「元祖たこ昌」のたこ焼きはコチラ ↓

江戸時代以降、太平洋戦争以前

戦前(1930年代前半)はもちろん、戦火が激しくなるまでは、戦争中においても、太巻き寿司(後の恵方巻き)の販促は行われていたようで、昭和15年(1940年)の広告チラシの記述には、大正時代の事が記載されているようです。 その為、恵方を向いてお寿司を食べる風習は大正時代からの習慣であると推定され、寿司業界がそれを古くからの伝統であるという触れ込みで販売促進活動を行ったと思われます。
なお、恵方巻きは、江戸時代から明治時代にかけての大阪の花街で節分をお祝いしたり、商売繁盛を祈ったりしたのに始まったといわれていますが、明確なルーツはわかりません。 言えることは、花街で節分をお祝いし、商売繁盛を祈る中、七福にちなんで、7つの具を入れて巻いたお寿司を丸かじりした...という事くらいです。 

それらしき風習は江戸時代~明治時代の上方には存在したものと想像できます。 但し、恵方巻きそのものは、時代を経る中で、その時代に合ったマーケティング・プロモーションにより発展・発達し、昭和から平成にかけ、いつの間にか伝統行事のように浸透した新しい文化といえるのではないでしょうか...


どんどん新しい文化が追加されていく恵方巻き。 最近は南海グリルも恵方巻きを提供しているようです。

南海グリルの恵方巻

鉄板焼きで有名な堺の「南海グリル」
天兆閣別館で恵方巻きを提供しています。
下記リンクの店舗トップページより「南海グリルの恵方巻♪ 2月2日(火)限定販売!!」の表示をクリックすれば詳細がご覧いただけます。 オーソドックスな恵方巻きの他、肉巻き寿司やサラダ巻きもあります。
南海グリル 天兆閣別館
南海グリル 天兆閣別館
ジャンル:極上宮崎牛の会席
アクセス:南海本線堺駅 東口 徒歩8分
住所:〒590-0940 大阪府堺市堺区車之町西2-1-30 南海グリル本店ビル2~4F(地図
姉妹店:南海グリル 中店  | 南海グリル 東店
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情報掲載日:2021年1月28日



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今日も最後までご覧頂き有難うございました。 m_ _m 

 

最近は、恵方巻き風のスイーツや和菓子も販売されているようです。

 

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大阪の観光スポット 大阪での宿泊は「じゃらん」

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