忙しさにかまけて、ブログをサボっていました。
還暦を機に断捨離すべきですが、それもサボっております。そして、その間に色々な事がありました。 瘦せようと思っても痩せられないのに仕事のことで「頭に来過ぎて」短期間で5kg痩せました。 また、悲しい別れもありました。 冬に別れを告げ、今ようやく「もう一度、ブログにチャレンジしてみよう」と思い始めました。 令和4年の春の一歩です。
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冬の別れ
冬に別れがありました。 お正月のお休みが終わった1月10日の事です。
私と息子にとって、茶羅は大切な家族で、16年の付き合いでした。
(c)KT_infinity - 画像素材 PIXTA -
時期を同じくして、根幹となる仕事を手放す決意もしました。 茶羅が背中を押してくれたのかも知れない... ふと、そう思いました。
茶トラの猫
会社を辞め、自営をはじめ、出張で家を空けていた時、中学生だった息子が茶トラの雄の仔猫を拾いました。 それが茶羅でした。 野良の親猫が育児放棄をし、息子が気にかけ連れ帰って来ました。
野良ネコ出身なので人に馴染まず、我が道を行く野生児でした。 去勢をして他所のお宅に迷惑をかけないよう気を付けながら、自由に外に出していました。
動物病院
若い頃は野良猫と激しく喧嘩をし、怪我をして何度か病院のお世話になりました。 野生児なので、病院の雰囲気を嫌がり、興奮して息が荒くなり、ぐったりする事もありました。 時には興奮が過ぎて病院で治療を断れれる日もありました。 その為、老齢に差し掛かった頃には病院には連れて行かず、自宅でゆっくり養生をさせる事を心がけました。
カリカリご飯が好きでしたが、15歳を超えた頃から、歯が悪くなったのか、口の中の調子が悪いのか食べにくそうだったので、柔らかいごはんに変えました。 また、腎臓病や成人病も心配なので、極力、年齢にあった食事をさせる事を心がけました。
仔猫だった茶羅があっという間に飼い主を追い越して年老いていく... 悲しい現実ですが、猫に生き方の手本を見せてもらったように思います。
凶暴な猫と人間の怪我
元野良猫だったこともあり、可愛く人に懐いた思い出は殆どありません。
10歳を超えても相変わらずの野生児で、激しく噛まれ、病院で2日間点滴を受けたこともありました。 恐らくひっかき傷や噛まれた傷跡からバイ菌が入ってしまったのでしょう。 それでも、茶羅は大切な家族でした。
(ひっかき、噛みつき防止用にペットグローブってあるのですね。 知っていたら使っていたかもしれませんが、手袋をした人を怖がらないかな?)
虹の橋
そんな茶羅が天に召され虹の橋を渡ったのは、令和4年1月10日のお昼過ぎでした。 朝から日向ぼっこをして、縄張りを見張るべく、お散歩をして、楽しく機嫌よく過ごしました。 12時15分、私の母が外にいるのを見つけ、近寄ろうとして突然倒れたそうです。 母の驚いた声で私が外に出た時には息も絶え絶えでした。 名前を呼び、身体を撫で揺さぶり、軽く叩いても、呼吸が戻ることはありませんでした。 眠っているような優しい表情でした。
心残りだったのは茶羅を一番かわいがっていた息子がその場にいなかった事。 すぐに電話で連絡し、事態が呑み込めないまま息子が帰ってきました。 眠ったような亡骸を大切に抱き、毛布でくるんで、好きだった場所を歩きました。 お別れ前にお日様の光をしっかり浴びさせてあげたい、との心遣いでした。 泣きそうになるのを堪えながら16年の日々を噛み締めているように思えました。
それが我が家の冬の別れ。 茶羅にしっかり食べてもらおうと買い込んでいたキャットフードも沢山ありましたが、猫を飼っている友人に全て送りました。 キャリーケースや爪とぎは保護猫の団体の方々が引き取って下さいました。 茶羅は麻の爪とぎが大好きでした。 保護猫施設で少しでも役立てれば幸いです。
一つの時代が終わりました。 あっけない死は辛いものの共に過ごした明るい思い出を胸に生きて行こうと思います。
猫というと、思い出すのは、このお話。 茶羅と同じく茶トラの猫のお話です。
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茶羅の思い出にお付き合いくださり、ありがとうございました。
久しぶりに柄を描いてみました。
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