<<以下、還暦過ぎ老人が子育て世代だった頃の思い出です。>>
今週のお題「餅」
平成の一時期を過ごした会社でのお餅事情。
強烈な思い出は平成後期のきな粉餅。
懐かしくも寂しい思い出は平成前期の鏡餅です。
鏡餅ときなこ餅
昭和の時代、最初に就職した会社では、お正月らしいお祝いも社内でお餅を食べた事もありません。 昭和の終わりに勤めていた転職先ではお餅を食べたかも知れませんが記憶が定かではありません。
残念ながら、昭和の職場では、お餅の思い出は一切ありません。
会社で食べたお餅の思い出は平成に入ってから働いた対照的な2つの会社での記憶。
平成前半の職場はソフト開発会社。
子供を両親に預け、国内外の出張もこなし結構頑張りました。
ここでのお餅の思い出は、あっけなく寂しいその後の展開と共に思い出されます。
お餅というと、職場の思い出とセットで子供の学童保育が思い浮かびます。
平成の職場の思い出に話を戻します。
思い出深い2つの職場。
平成の前半は会社員。
後半は個人事業主として友人の起業を全力でサポートしました。
既にすべては過ぎ去った日々の事。
前者の会社の思い出は鏡餅、後者の会社の思い出はきな粉餅です。
きな粉餅と安倍川もち
後者の会社がどれほどユニークだったかは以前、ブログで紹介しました。
なにせ応接エリアにドラムセットがある会社です。 生真面目で几帳面な人ならストレスで耐えられなくなるかも知れません。
お餅の話としては、こんな事がありました。
ある日の仕事中、突如、社長がきな粉餅を作り始めた事がありました。
午後2時過ぎくらいだったでしょうか... 急に「安倍川もちが食べたい」と言いだし、作業中の社員にお餅ときな粉を買いに行かせ、お餅を焼き始めたのです。
「安倍川もち」作りに誘われはしましたが、忙しい時間帯に馬鹿な付き合いはしたくありません。 付き合わされている社員を気の毒に思いましたが、私は社外の人間なので付き合う義理はありません。 「仕事に集中させてもらいます!」と冷たく断りました。 できあがった後、気を遣って振る舞ってくれたので申し訳なかったとは思いましたが...
作っている本人たち(社長と男性社員1名)は「安倍川もち」と呼んでいましたが、厳密にはきな粉餅だったように思います。
正確に言えば、安倍川もちは静岡近辺の郷土料理。
つきたてのお餅にきな粉をまぶしたもの。
出典: 農林水産省Webサイト(https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/index.html)
安倍川にかかる安倍川橋のたもとに老舗のお店が並ぶ、と言われています。
因みに安倍川橋は国の登録有形文化財とのことです。
さて、事務所で作っていた(自称)安倍川もちは切り餅を焼き、お湯にくぐらせ、砂糖を混ぜたきな粉をまぶしたもの。 つきたてのお餅ではない段階で、安倍川もちというよりはきな粉餅と呼ぶ方が妥当と思います。
商談に不向きなきな粉餅
きな粉餅に奮闘している時に限って来客があったのも困ったものでした。
アポを失念していたのか、ワザとだったのかは実際の所、不明です。
でも、私は「相手の意表を突く為の作戦だった」と思っています。
その会社は常々そういう悪戯っぽい仕事の仕方をしていましたので...
結果、訪ねてこられた某商社の部長さんお二人にもきな粉餅を振る舞う事になりました。
でも、商談にきな粉餅は本当に困りものです。
会議がヒートアップすると、口からきな粉が飛び出すわ、歯に餅が絡みつくわで散々です。
紺色のスーツなどを着ていると悲しいことになりそうです。
きな粉餅のせいで、皆がお茶のお代わりをする為、ポットのお湯があっと言う間に減りました。
来客が帰った後、こぼれたお餅の破片を踏んづけないように気を付けつつ、きな粉だらけの書類の粉を落とし、床面のタイルカーペットに掃除機をかけました。 (お餅がカーペットについたら落とすのが大変ですし、きな粉で蟻などの虫が来るのも困りものです。)
とはいえ、きな粉餅で意表を突いたおかげなのか、一貫して自社のペースで話を進める事が出来たように思います。
思い出の鏡餅
話は変わって、時代を少し遡り、平成前期のほろ苦い思い出。
平成15年の春まで勤めていた会社では、毎年、1月11日を待ち、鏡開きを行いました。
平成15年が最後の鏡開きになるとは想像もせず、明るい気分で、和気あいあいと皆でおしるこを作りました。
コンロが一つしかありませんでしたので、餡の準備と焼き餅の準備が大変でした。
缶入りの茹で小豆を鍋にあけ砂糖を加えて、ぐつぐつ煮立て、ある程度できあがった所で火からおろす。
今度は、その缶を四隅に並べ台にして網を置き、お餅を焼く...
網を置いたり、鍋を置いたり、取り換えひっかえ見事な流れ作業でした。
その時点では、経営陣も皆、翌年も翌々年も同じようなお正月が続くと想像していました。
ハチャメチャな私の人生の中、唯一、普通に会社員をしていたのが、この時期です。 普通に会社員をし、子育てができた貴重な時間。 年末に会社の入口にお正月飾りをし年明けには鏡開きをする...
鏡開きは、ある意味、普通の会社と普通の暮らしの象徴のように感じました。
会社の状況が急変したのはお正月明けからたった2カ月しか経っていない春の事。
会社組織なんて実に脆いものだと実感しました。
米国の関係会社からの引き留めもあり、会社側からも残留の打診がありましたが、不信感が募る出来事の方が大きく、他の社員と共に会社を離れました。
結果としては、これで良かったと思います。
残された経営者と限られた人員は、そのまま事業を続ける事ができましたし、会社を去った者は各々自分の道を進むことができました。
以上、鏡餅のほろ苦い思い出です。
そう言えば、この会社の思い出で一番印象に残っているのは空港の公衆電話の思い出でしょうか... 懐かしい20世紀の出来事です。 最終的に去ることにはなりましたが、良い経験と思い出を与えて下さった会社には感謝しています。
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